変わらずにココにいること

辛い時

スポンサーリンク




大切な友人だったり、家族だったり、恋人だったり、関係性は様々だけど大切な人が苦しんでいる時、何かの助けになりたいと誰もが願うし、何か出来ることはないんだろうか…と考える。

その時、距離の問題、状況、関係性によってはすぐに会いにいくことが叶わないこともある。

だが、会えたところで何が出来るだろう…とも同時に考える。

話を聞く、相談に乗る、パーっと酒を飲む、カラオケに行く、海に行く、山に行く、焚き火をする(大学時代の僕)など、思いつくけれど、相手がそれを望むか望まないかはわからない。

こういう時、僕はけっこう苦しむ。今もそうなんだけどね。何か助けられたらいいんだけどな…と考える。考え続けている。

正直、出来ることはないのかもしれない

こんな風に言い切ってしまっては冷たいのかもしれないけれど、出来ることってないんだよね。少ないと言った方が正しいのだけど。

望まれれば出来ることはあるし、可能な限りは手伝いたい。でも、最終的にはその人自身が向き合って答えを出すしかない。考えられることといえば、その間の休憩所になれたら本望だよなって。

そう、休憩所。

向きあっている中で休める場所だったり、そのことを忘れられる場所でいることが自分に出来る唯一のことではないだろうか。

そんな風に思う。

変わらずにココにいる

そう考えていたところで投稿したツイート。

特別な何かができるわけでもない。話を聞くことくらいしか出来ないかもしれない。でも、いつだってココにいることが大切なのかな。

ツイートにもあるけど、場所の話ではないんだ。存在として、関係性として、いつだって僕はここにいる。そういう存在でい続けることが僕にできることなんだろう。

ふらっと帰って来たくなる場所ってありますよね。行きつけのバーとかもそういう部類なんだけど、変わらずそこにある。

話を聞くでもなく、こちらが話すでもなく、いつもの通りにそこにいる。そして、扉は全開にして待ってるよ。

それでいいんだよね。きっと。正直、わからないけどさ。僕はそう思う。

こちらの記事もオススメ

日本にイジメが多いのは、「友達」しか大切にしないからだ。

「仕方ない、やるか」の繰り返しがコツコツになっていく。

学校・仕事を辞めることが親不孝?その先に幸せがあるなら親孝行じゃないの?

「暮らしを手元に。」離れてしまった実感を取りもどす。

スポンサーリンク
辛い時

この記事のシェアはこちらから♪

ABOUTこの記事をかいた人

33歳、二人の男の子の父親してます。レコーディング・エンジニア。「丁寧に生きる」をテーマに本質的な生き方を求めています。農業/発酵/ロケットストーブ/ワイン/ビール/里山/狩猟/愛知県