あっという間に3ヶ月の放置…生きています、たかしたよーへい(@campanella225)です。WordPressの仕様が変わり、めっちゃ戸惑いながら書き始めた。
2月に入り、立春もすぎ、雨水(うすい)がやってきた。暦の二十四節気というやつですね。寒さが緩み、雪から雨に変わる頃という事でしょう。もちろん、地域によって違うけどね。
僕が暮らす愛知県ではだいたいこの二十四節気がちょうどいい感じに畑に馴染む。雨水を過ぎたら春野菜の種まきをしても大丈夫。最初はジャガイモ。今週末にでも「インカのめざめ」を植えてこようと考えています。
僕らは何を食べているんだろう?
ところで、皆さんは何を食べて生きていますか?どうのようにして生命を維持していますか?こう聞かれてどう答えるでしょう?
改めて考えると、僕らは食べないと生きていけない。エネルギー源でもあり僕らそのものを形作っているのは食べたモノです。
そんな中で「何を食べているのか?」って実は見えにくくなってきている。もちろん、「米です。」とか「肉です。」とかそういう言い方は出来るけれど、よほど意識の高い人でなければ、どこでどうやって育てられた野菜なのか、肉なのか、魚なのか…答えられないですし、気にもしていないかもしれない。
書いている僕にしたって似たようなもんです。
生きるためのエネルギー源であり、自分自身の身体を作るものなのにいつからか、全てをどこか遠い人に預けて生きていくようになった。
食の外注化ですね。それが進み、自炊する人も減ってきているのが現状です。それが良いとか悪いの話ではなく、文明が進むというのはこういうことを言うのだとも感じます。
でも、不思議なんですよ。僕は。なぜ、外注化し切ってしまうのか?数年前までの自分に問いかけてみればわかるかもしれない…
あまりに遠くにいってしまった
実際、3年前まで僕は農作業をするとは考えもしなかった。「環境」や「持続可能な社会」と言うのは僕の中で気になるキーワードではあったけれど、そこに対して自らが土を耕すという行動とは結びついていませんでした。
なぜか?
「食材は買うもの」というの前提があったんですよね。買うことが前提で、オーガニックな食材を買ってみようとか、無農薬栽培の野菜を買うようにしてみようとか…ちょうど「Oisix(おいしっくす) 」などのサービスも出てきた頃だった。
少しずつ意識は向かってはいたけど、あくまでも行動としては購入だった。
それを覆してくれたのは、今やってる畑の師匠である美保子さんだった。
身近になるきっかけ
僕と同じく高蔵寺ニュータウン内で暮らしている美保子さん。年齢は知らないんだけど、おばさんよりはお婆ちゃんに近くなってきた感じの笑顔が仏のような方だ。実際、人間よりも仏というか植物というか…もはや神々しさがある。
長らくこの地域で自然農法を基本として無農薬、有機栽培をされてきた方だ。自然農法って様々な定義がありますが、美保子さんは必要な有機肥料は少量使う形。
全ての方法がどうやって「自然」と似たことをするか?という視点から工夫をされている。そして、季節と土地にあった作物を育て食べる。
彼女らしい面白い話があって、最近はサツマイモを植えるとイノシシに荒らされてしまうようになったんです。普通なら、電気柵をつけるとか、何かしら防ぐ方法を考えると思うんですよ。でも、彼女は違う。「なら、サツマイモを植えるのを止めたらいいじゃん。」とサラッと言う。
そりゃそうなんだよね。サツマイモなかったらイノシシもやってこない。まぁカボチャとかもあるけど…何にしても、今の最適解を自然を押し込むんじゃなくて自分の側で調整を図る。
その姿に僕は美しさを感じたんだと思う。そして、これが人の暮らしかたと言うか自然との折り合いの付け方ではないかと感じたんですね。
きっかけになっていきたい
僕のきっかけは美保子さんであり、もっと先をたどれば彼女を紹介してくれた妻の友人であり、庭でニンジンを植えた妻の姿になる。
そこには自分の気持ち以外に何かしらのきっかけがあると思うんですよね。そして、そのきっかけはどんな形でもいいんだ。美味しいものが食べたいとか、充実感が欲しいでもいいし、農薬が気になっているとか…本当、何でもいい。
そういう感情の先に、少しでも自分で野菜を作ってみたいと感じた人が行動に移れるようなきっかけになっていけたらなと最近は強く感じている。
そのための行動をとっていかないとな。
こちらの記事もオススメです