ども、よーへい(@campanella225)です。
先日、こんな事がありました。
畑の師匠から本を借りることがあるんだけど、そのやり取りは「共同の農機具倉庫に置いておく」って方法。何かね、これが楽しい。置いてあった!回収されてた!って毎度少しだけ心躍る(笑)
— 高下陽平|Youhei Takashita (@campanella225) January 19, 2017
で、たまに贈り物がついてくるんだよね。今回はこれ♫
カレーにいれたりさ、スープに入れたり。
このローリエは津端さんから師匠に挿し木で分けてもらったものなんだって。そんなローリエが僕のところに回ってきた事が幸せ。 pic.twitter.com/28q7kcnwsy
— 高下陽平|Youhei Takashita (@campanella225) January 19, 2017
畑をやっていると、こういったやりとりって多いんですよね。ちょっとした会話のついでにその日に取れたものを、おすそ分け。
今回のようにモノの貸し借りのついでに収穫物の贈りもの。
僕なんかは、いただく比率の方が高いので申し訳ないんですが…でも、嬉しいのでありがたく頂戴する。
もともとは頂いたモノ
今回の贈り物、実はとっても嬉しかったんです。嬉しかったというのも少し違うかな…心がいつも以上に熱くなった。
畑の師匠がくれたのはローリエの葉っぱ。ローレルと言ったり、月桂樹とも呼ばれていますね。
この植物、師匠も別の方から挿し木でいただいたモノだったんですね。それを自宅で栽培して、今回のように僕のところに巡ってきた。
最初にローリエを師匠に分けた人というのが津端ご夫妻。津端さんのお庭から師匠へ渡った。最近の僕は津端さんのことばかり考えてる(笑)
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で、僕はローリエを自宅で栽培しようと考えている。せっかく巡ってきたからね。
全ては誰のものでもない
モノでも気持ちでも、誰かから誰かへ巡ってくのがなんだか嬉しかったり、幸せだなって感じる。今回は特に津端さんスタートだったことに、ワクワクしちゃったんだけど。
こうやって考えてると、どんなものも「どこか」から巡ってきたものなんだよね。
「自分のモノ」だと思っているものでも、正確には自分のものでもない。お金でも、土地でも、何もかもさ。
これは昨年に書いた記事とも繋がってくる。
まぁ実際には一時的に自分のモノっぽくなるものもあるけど、いつかは移ろってく。どっかの誰かにだったり、自然の中にだったり。
ミニマリズムとも違う
こういう話を書いてるとミニマリストにでもなったん?って話はあるんだけど、僕はミニマリストではない。モノいっぱい持ってるからね(笑)
ただ、愛着はあっても執着はしない。そんな感じなんだろうな。
これって、人との関係性においても同じだと思うのね。
そして、愛着はあれど必要な人のところに流れていくべきだとも考えてる。大切に育てた野菜を友人やご近所さんに分けたくなるのはそういう心理。
さ、精米機から集めてきた米ぬかの利用方法について学ばなければ。
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