先日は不耕起栽培についてのお話をさせてもらいました。思っていた以上に更新直後からたくさんの方に読んでいただけていて、書いて良かったなって。そう率直に感じています。
不耕起栽培や自然栽培における草への応じ方、無農薬や肥料の話。どうしてもあっちへこっちへと話が飛んでしまいます。それだけ多角的な見方をしていかないと話が出来ないことであるのと、関わるそれぞれの考え方が一部分ずつそれぞれの領域にかぶさってきていたり。
なので、1つの記事でスパッとは今の僕では語りきれないので繰り返しになってもそれぞれの話をし続けていこうと今は考えています。
そういうことで、今回は草の話です。
まずは雑草というのはやめてみよう
不耕起栽培の事にしても、草を必要以上に刈り取ってしまわない事にしても畑を始めた頃から「情報」としては頭に入っていました。自然栽培を基本にやっていきたかったので。ですが、実際にはなかなか上手くはいかない。
1年目はビギナーズラックなのか、師匠に言われるままのタイミングで定植していたので上手くいっていた。2年目以降は、…っていうのが続きましたね。同じようにやっているつもりなのに、全く上手くいかない。作物ではなく、草を育てては刈っている感じ。
この頃からJAで苗を買うことを止めて、可能な限り固定種の種を使って育苗を始めています。育苗という変化と草への対応も見えていない…そりゃ上手くいかないんですけどね。
とあるtwitterでの言葉
そんな畑をtwitterやInstagramに上げていたんですよね。
その中で、「この人は自然栽培を目指しているのに、なぜ草を雑草と呼ぶんだろう。」というような事をコメントされていたのを見つけたんですよね。リプライをもらったとかではなく、ちょっと辿っていたら見つけてしまった。
ショックというか、ショックなんですけど、良い意味で気づかされましたね。あぁ、本当だなって。
その方は野草って書いていて、一般的に「雑草」と片付けられてしまう草花にもちゃんと名前があるんですよね。名前で呼ばないにしても、「雑草」ではないよ、「野草」。
このことは僕にとって1つの転換になった。
それから、僕が発信するときには「雑草」は使わないでおこうって。代わりに草。野草だとなんとなく伝わらないこともありそうだから、草。守れているかな…気をつかっているつもりでも、書いてしまうこともあるから。
草を取除き、土地を耕すのって環境破壊じゃない?
雑草を雑草と呼ばない、雑草扱いをしない。そうすることで考えることがあり、気づくことがあったんですよね。
最初に考えたのは、草を刈りきってしまったり草を完全に抜き去ったり、あとは土地を耕してしまう事って環境破壊と何が違うんだろう?という事なんだよね。
僕らの世代って物心ついた頃には環境破壊をやめよう、森林伐採をやめようっていう世代なんですよ。特に紙の原料になるパルプ。紙の大量使用、廃棄は森林伐採に繋がるよって。だから紙資源は大切にしましょう。使った紙、新聞紙などはリサイクルへっていうのがとても強く言われていた。
話が逸れるけど、今の脱プラ。脱プラのために紙を使うっていうのはわかるんだけど、幼い頃の感覚からすると何でも紙にして良いの?って感じなくもかなったりしてね。少しの違和感があるのも事実。でも、今は紙のリサイクル率も上がり、それ以上にプラ使う事やマイクロプラの害悪の方が大きいって事なのかなと。ちゃんと調べれていないので、言い切れないですけどね。
戻ります。そういう世代ということもあるのか、ないのか…森林伐採などの環境破壊を映像として頭に残っている部分が大きくて、草を刈る、抜き去る、耕すということがそことリンクし始めたんですよね。
『あぁ、これは環境破壊とやっていることは変わらないな』って。
環境を残しつつ、バランスをとる
そこで始めたのが不耕起栽培であり、草へのアプローチを変えること。具体的にはどうしているのか?僕と草との付き合い方を書いてみる。
- 除草のために、草を抜くことをやめる。
- 使っていない畝は使うまで草を放任する。
- 種を蒔く部分だけ草を根の近くで刈る。
- 作物の成長を優先させたい時は草を抜かずに刈る。
特に最後のが大きなポイントになると思うんだ。そこには人の意思が入るよね。作物を収穫したいと思ってしまう。やっぱり、benefitを求めている。でも、そこに偏らないために折り合いをつけていく気持ちが必要になってくるんだと思う。カッコつければ対話。コミュニケーション。
この辺りの肌感覚って、麹作りとか発酵とも共通しているよなぁって強く感じる部分でもある。
草が野菜を守り、育ててくれる
これまで書いてきたような経緯があり、考え実行してきたことがある。環境を整える事を考えながら、草への対応をし始めて3年ほどが経過しています。
その中で具体的に気づいた事・感じていることを書いてみると、
- 草がある事で保水力が高まる。
- 草がある事で土壌の内側、外側、両方の生物多様性が高まる。
- その事によって、虫の食害が減った。
- 草がある事で寒さ、暑さが緩衝される。
- 草がある事で風が防げる。冬場の冷害防止になっている。
今、思いつくのはこういう事かな。これはうまくいっている部分だけを取り出しているけどね。
そういう状態が出来上がっている場所では草と作物、そこに差はないだよね。同じように畑だったり、その畝の環境を構成している。共生している。作物だけを優位にするでもなく、草が優位になるのを放任するでもなく、そういう状況が育まれるようになって、初めて収穫が望めるようになるんじゃないかな。
僕の畑がそういう環境になっているかどうかは、正直、まだまだ怪しいところもある。あぁ良い感じになってきてるじゃんっていう場所もある。そういう状態。
声が聞こえるようになれるかな…
ここまでガーっと書いてきて、本当は他にも書きたいことが頭の隅にあったはずなんだけど、見つけられなくなってしまいました(笑)
長くなってきたので今回はここまででキリをつけておきたいと思う。
言葉にすれば、対話だったりコミュニケーションになるんだろうと本当に感じ始めているんだよね。かといって、あまり積極的になりすぎてもいけないと感じている。
草と作物と天候と土の状態と。どこか一方とだけ話すのではなくて、そこにある環境全体を見渡してみて、ここがうまくいってない気がするなぁとか、そこに手を入れてみたり入れないで見守ったり。そういう事を繰り返してみる事。
そうすればいつかは声が聞こえるような感覚で草や土に触れることが出来るようになるのかもしれない。そんな事をおもっています。ではでは、今日はここまで。
コメント
草と僕の記事を読ませていただき、とても共感するところがあったのでコメントさせていただきます。僕も同世代で、本業とは別に、週末に無農薬・無化学肥料で畑をやっています。うちの畑でも、草を一気に刈りすぎて、逆に地面が乾燥してしまったり、大豆のまわりの草を刈ったとたんに虫に食われてしまったりを経験したので、上手く共生することが大事なんだろうなと感じていました。最近は、草を刈るときは、育てたい作物より背が高いものがあったら刈るぐらいがいいのかなと思っていますが、夏になって草が増えてきたらまた悩んでしまいそうです。
お返事が遅くなりました。コメントありがとうございます!特に5〜9月の時期は草の勢いが全く違いますよね…。この記事から日数が経ち、最近の考えとしては「抜く草と抜かない草を分けるよう」になってきました。イネ科の野草にはなるべく退いてもらおうとしています。また、刈ったり抜いた草は必ず畝に被せるようにしています。マルチの意味合いや循環のためですが、何より土壌の流出を防ぐ効果が多いいなと感じます。