「この景色があるのはさ、皆んなのおかげ。皆んなの力でこの景色がある。それって凄いことだよな。感謝してるよ。」
ある早朝に川地さんが言っていた。僕の米作りのお手伝いをしてくれる師匠ね。地域の田んぼの8割くらいが田植えを終えた頃の朝だったかな。
米作りを始めたいと僕が言い出した時、とんでもなく怖い顔で「やめとけ、無理だ。」と言っていたのが僕の記憶違いなのかな…と言うくらいに穏やかな顔で話すから、朝焼けと相まって妙に感動してしまったのだった。
街でもなく田舎でもなく
僕が米作りをさせてもらっている場所は愛知県春日井市玉野町。この辺り。
古墳なんかもあるんだよね。おそらく僕のtwitterやInstagramの投稿をみてくださっている方は見たことがあると思う。地図上で見るとこう言う位置なんですよね。
古墳があることからもわかるんだけれど、この地域は古くから人々が暮らしを営んできた地域ではあるんだよね。西暦770年で玉野って地名があったみたい。

そう思うと海岸線は遥か彼方まで遠のいたもんだな…この地図の通りだったら、自宅からすぐにでも海釣りに行けていたのかも。
今では近くにJRが通り、すぐ近くにはドキュメンタリー映画「人生フルーツ」の舞台で少しだけ流しられた高蔵寺ニュータウン。ふもとにある高蔵寺駅から名古屋駅までは約30分。これを田舎と呼ぶのか、町と呼ぶのかは見る人の育ってきた環境によって変わるんだろうな。
僕個人の感覚としては街。そこまでの田舎ではない。でも、こうした田園地区も残ってきた地域だ。
同じ市内でも団地、駅前、国道沿い、市街地、新興住宅地、田園、旧家が並ぶ地域とグラデーションがあり、自分で感じていたよりも育った場所で感覚の違いや天候の違いがあるもんだと高校生の時に驚いたりもした。
実際にどんな人が景色を作っているのか?
でね、現在において地域の田畑を耕している人ってどんな人なのだろう。
地元の人が多いのか?というとそうとまでは言い切れない。それこそ、上に載せた地図の頃から続いている苗字もあるそうなんだけど…田畑をされている人はかなり少なくなってきているのが現状なんだよね。
そうしているうちに米作りもどんどん衰退していき、何とかしてこの環境を残していきたいということで「ふるさと農園」だったり田んぼの貸出しが始まった。
ニュータウンの住人だったり、川向こうの名古屋市内から、不思議なことに大学教授やお医者さん、どこかの社長さんという人が多い。まぁ仕事的にも時間に少し余裕があるからというのもあるけれど、やはり意識が高いのかもしれない。
若手は新規就農者だったり、僕のようにフラッと始める人…でも、すぐにいなくなっちゃったり、なかなか就農って形じゃない人で関わりを持ち始めても定着するのは僅かかな。もっと増えて欲しいなぁ二十代、三十代。
想いはそれぞれ、でも仲間だ。
こうして書いてみると、改めて特徴的な人の集まり方はしていないなぁって。偏りがあるわけでもなく、本当に色んな方がいる。週末だけの人、僕のように毎朝5時からいる人、兼業農家の人、専業農家の人、無農薬で通す人から、減農薬栽培、除草剤を撒く人…
僕は無農薬栽培をしているけれど、他の人がどう言う方法を取っていても何かを言う気は全くない。
個人としては無農薬で栽培をし続けるし、興味を持ってもらえるなら無農薬栽培を推すよ。仕事としての田畑なのか、趣味なのか、その中間なのか、やはりそれぞれの立ち位置によると考えてる。
米の無農薬は僕ともう一人がそれぞれ1反やっているだけ、それ以外は基本的に減農薬栽培。慣行はいないんじゃないかなぁ…

この景色を作っているの人の考え方や関わり方にはグラデーションがある。そのグラデーションを認めつつやってきた結果がこの景色なんだろうと思う。
押し付けることはせず、それぞれのやりたい事を1人でだったり仲間を募ったり、出来る範囲で重ねてきたから今がある。
特段、強く仲間意識を持っている関係性でもないし、そこにもグラデーションがあって、強いつながりもあり、弱いつながりもあり、それぞれの想いとがたまたまこの地域で交わっている。
気付いたら畑は5年目、米作りは4年目。僕も景色の一員となってそれだけの時間が経った。僕には僕なりの想いが芽生えつつあるし、それをこの地にどう還元できるんだろうと。毎朝の除草時間に考えてみたりしている。
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