暮らしを手元に。
暮らしを手元に。どんな生活、働き方をしていたって暮らしはその人の手元にある。あるけれど、それを感じられないコトが増えていく。それを1つでも自分の手で感じられるところに取り戻してみると、幾分生きている実感がもてるようになる。それを少しずつ増やしていっているのが僕の今。
— 高下陽平|Youhei Takashita (@campanella225) October 22, 2018
僕がそんなことを考え始めたのは実はけっこう昔だったりする。それは17年前、アメリカの同時多発テロだった。
当時、大学生。部活の鍋パーティーをしていてベロンベロンに酔っ払っていた時だった。今も明確に覚えているんだけど、クラクラする頭を持ち上げて煙をあげるワールドトレードセンタービルを映画を観ているような心境で眺めていた。
大変なことが起こっているのに何の実感もない。海を渡った、すぐそこの出来事なのにね。
徐々に、「こんなことが起きてしまうんだ…現実世界で。」という気持ちが持ち上がる。数週間、不思議な感覚の中、ふと感じた僕は僕の人生を生きているんだろうか…という違和感。そこが発端だった。
その後、大学を辞める流れはまさにこの事件があったからなんだろうと思う。
10年が経ち、記憶に新しい東日本大震災が起こる。今度は自分の暮らす国。
多くの人にとって大きな転換点になった。僕にとっても大きな気持ちの変化を与えた。本当、これほどまでに僕らの暮らしは脆いものなんだ…と感じずにはいられなかったし、依存に支えられていることに気づく。
同時に、大学を辞めて好きな生き方をしようと生きてきたはずなのに、どこか生きている実感が薄れてきてしまった自分も感じていた。
スーパーに行けば食品は手に入る。コンビニにだって野菜が売っている。肉や魚にいたっては原型の姿を知らないままで僕らは食している。
そういう中で僕らの多くは生きている。どこかの誰かに依存して生きている。今だって僕もその中の1人。
食の部分を取り上げているけれど、服だって家だって、電気だって、僕らは誰かにどこかに依存しきっていきている。
それが生きている実感を奪っていしまっているように僕は感じているんだよね。
仕事の充実があって、家庭を持って、でも大きな災害を目の当たりにした後、どこかで僕は守りたいものも守れない、支えたいものも支えられないという現実を感じるようになっていた。
気づけば手元には何もなかった
そこから初めて「暮らし」という意味を考えるようになった。
その暮らしが自分の手元にはほとんど残っていないという事実、そのほとんどをどこの誰だかわからない方々にと寄り切って支えてもらっている現実。
ならば、取り戻していこうよ。それが始まりだった。
何ができるだろうと考えた時、僕は食を選んだ。僕らの体そのものの原料だ。最後の最後、食べ物さえあれば命は繋げていける。そんな子供みたいな考えなんだけど、僕はそう考えて畑や発酵を始めてみたんだよね。
農薬のこと、タネのことはそのあとに知っていくことになる。
生きているという実感を取りもどす
とはいえ、僕らの生活はどんなスタイル、どんな仕事をしていたとしても、ちゃんと手元にあるんだよね。ありがたいことに平和な日本においては、生活は手元にあるんだ。
でも、それを自分の手元に感じられなくなってしまっている。あるけれど見えない、感じられない。手元には繋がっているのに、遠くに離れてしまった。
人によっては、そこに重きをおいていない人もたくさんいると思う。それはそれなんだ。僕は僕。
僕が抱いた違和感。それは手元に触れられる所に食がないことだった。
それを1つ1つ、一部分でも触れられる場所に取り戻していく。
全てを手元に置くことは難しいし、僕もそれをしたいわけではない。でも、関わり方を近づける方法は自ら生産する以外にもある。
生産者と繋がること、共感できるコンセプトをもつ製品を使う、丁寧にみていくことで少しずつ距離感を近づけていける。
そうすることで生きている実感を感じることが増えていく。取りもどすことができる。暮らしを手元に手繰り寄せることで、生きている実感を感じられるようになる。
そんな風に僕は考えているんだ。
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