ども、よーへい(@campanella225)です。
「個性」を大事にしよう、尊重しようというのが大切にされる時代がやって来ていますね。それに異論はないんですが、「個性」って誰が決めるんでしょう?
昨日のLINE BLOGに書いた「きかんしゃトーマス」のエンディングテーマの話。この状況って人に置き換えると、結構つらいなって話です。
トビーの扱いが酷すぎる!!
その記事がどんな内容かというと、アニメ「きかんしゃトーマス」のエンディングテーマの歌詞に注目して欲しいんです。
再生してもらって、「51秒」くらいまでの約22秒間を聴いてみてください!
僕は聴くたびに思わず突っ込みたくなる歌詞なんですよ(笑)字幕が出ているのでわかりやすですが、歌詞はこんな感じ。
トーマス! いつでもげんき
ジェームス! おしゃれでゆかい
パーシー! たよりになるね
ゴードン! とってもつよい(中略)
トビー!しかくいな~か~ま~!
おいおい、トビーはそれでいいのかい???(笑)トビーだけ見た目です。間違いじゃないんだけどさ…
他人に決めつけられるのも辛いな
で、ちょっと考えてたのね。トビーは見た目で間違いがないんだけど、他のトーマスさん達は自分の表現のされ方に対しては何も思わないのか?って。
これ、この歌詞にいちゃもんつけたいとか、そういう話じゃないですよ?
あの人、〇〇だよね…
アニメのキャラクターだからいいんですけど、日常でもありますよね。「〇〇さんは、いつでも元気な人ですよね。」とか、「よーへいさんって、チャラいですよね。」とかさ。
そういう印象を持たれる、それをその人の「個性」だと感じさせる何かはあるのでしょうけど…決めつけられる方はたまったもんじゃない。
特に親は気をつけて欲しいな
たまにそうやって言われるのは別に構いませんよ。でも、それがその人の「固定概念」として固まってしまうのが怖い。
特に親から子に対してはその子を縛り付ける言葉にもなりかねないです。僕自身、親からの「この子は引っ込み思案で、人見知りで、シャイなんです。」という言葉に縛られてきた実感があるんですよね。
そこから自分がコミュ障になったんだろうなって。
トーマスも「僕だって、元気じゃないときだってあるのにな…」なんて感じてたら切ないな。なんて考えてたら、書きたくなってしまった。
「個性」は自分の中でゆるく持ってたらいいんじゃない?
で、個性って誰が見つけたり決めるのか?
僕が思うのは、それぞれが『自分の「個性」ってこれかな?』って思う程度でいいと思うんですよね。自分は自分でしかないわけです。その人の全てがその人の「個性」と言ってもいいわけですよね。
他の誰かが表現する「あなたの個性」。それもきっと一理はあるのでしょうけど、僕は「ふ〜ん。」って程度にしておこうかなって。
「あなたの前の僕はそうかもしれないけど…」なんて内心感じる時もあるし。
今言われる、『個性を大事にする・尊重する』というのは「個性」という言葉を使いつつも、単純に相手を大事にしよう・尊重しようってことだと僕は感じてます。
オススメ記事セレクション
・ステレングスファインダーで自分の強みを見つけよう!生きやすくなるよ♪