「コミュ障(人見知り)」の大きな原因は2つ!これに気付いて僕は楽になりました。

コミュ障 生き方
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ども、よーへい(@campanella225)です。

僕は人生における学生時代の9割をシャイ、引っ込み思案、人見知りなどと言われながら生きてきた。

もしくは、自らそのように言いながら過ごしてきました。今でいう「コミュ障」ってやつですね。

初対面の人とは年齢を問わず話せないし、女の子とも話せない。正直なところ親戚とも話せなかったですね。言いたいことはあっても言えなかった。

そんな僕が今では人見知りとは思われていないようですし、自分自身も思っていないんですよね。そして、表面上ではありますが社交的だとすら言われるようになった。内心はドキドキなんだけどな。

そこでちょっと考えてみたんですよね。

「コミュ障」は自意識過剰と思い込みからやってくるんじゃないかって。

 コミュ障&人見知りの原因は自意識過剰

[voice icon=”//taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/12/oyayubi_151209.jpg” name=”親指姫” type=”r fb”]私、コミュ障なんだよね〜[/voice]

[voice icon=”//taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/11/profile_151113.png” name=”よーへい” type=”l fb”]そうなん?いつも友達と普通に話してない?[/voice]

[voice icon=”//taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/12/oyayubi_151209.jpg” name=”親指姫” type=”r fb”]友達とはいいんだけどさぁ…初対面の人とか。ムリじゃん??[/voice]

[voice icon=”//taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/11/profile_151113.png” name=”よーへい” type=”l fb”]まぁ、誰でもそうだと思うよ。それ、コミュ障だって言いたいだけじゃない?[/voice]

[voice icon=”//taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/12/oyayubi_151209.jpg” name=”親指姫” type=”r fb”]違う違う!年上の人とか、異性とか話がつまらないと思われたり、続かなかったりするのも怖いしさ〜[/voice]

[voice icon=”//taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/11/profile_151113.png” name=”よーへい” type=”l fb”]言ってることはわかるけどさ…[/voice]

うまく話が弾まなかった時のための予防線

めちゃめちゃ楽しげに話しながら、自分がコミュ障であることを伝えてくる・伝えてしまう人はほぼこう言うタイプなんだと思う。よくいませんか?

僕自身、そういう前提の態度でいたり、言葉にもしていました。「人前や話すのが苦手でさ…」って。実際には、こんなのほとんどの人がそうなんですよね。

ですが、経験として『これまで自分が話すことで場が冷めてしまった』、『発言をしても反応がなかった』。そう言った経験がトラウマ化してしまって身動きが取れなくなってしまう。

トラウマってそんな大げさなこと?と思われるかもしれないですが、無意識にその状況を避けようとしているのなら、そう呼んでもいいものじゃないかな。

でも、本心を言えば…

それでも話すこと自体は嫌いじゃないし、コミュニケーションは取っていきたい。

だからこそ、初対面の人には思わず予防線を張ってしまう。「自分はコミュ障なんで、ちょっと場が冷めたりしても許してね。」って。そんなの誰も気にしていないんですけどね。

そんなに怖がらなくていいと思う。相手を楽しませるために話してるわけじゃないし。

そういう予防線を張りたくなる要因をもう少し具体化するとこんな感じ。

  • 話したことによって場が冷めるのが怖い
  • 面白いと思って発言したのに、誰も笑ってなかったらどうしよう…
  • 言いたいことはあるけど、全く見当はずれの意見じゃないかなぁ…
  • どうせ誰も共感してくれないよな。 etc…

確かに、どれもぼく自身の内面みたい。

簡単に言うと「自分がこれを言ったら、相手にどう思われるかな?」そればかりが先行してしまってるんですよね。さらに言えば、「この言葉を言ったことで、嫌われたくない!」ってことです。

嫌われることは悪いことじゃない

そんなにね、相手を気遣う必要はないと思うんです。相手を楽しませるために話をしているんじゃなく、コミュニケーションとして自分が伝えたいことを話す。ただそれだけの事です。

相手も楽しませてくれる事を期待してはいません。

それでも、楽しい話をするということが重要なら「好き勝手」に言いたい放題に言うことだと思います。

親しい友人との会話ではめちゃくちゃな事を言ってたりしませんか?僕はそういうタイプの人でした(このブログタイトルの「チョコマシュ」の由来でもあるんですが)。

外面を良くして、心のうちでは毒々しい事を思ってる。親しい友人とならなんだっていえちゃいますよね。

仮に話すことで嫌われるなら、好きなように話して嫌われたらいいじゃんって僕は思う。むしろ、好かれているという前提が間違っているのでは?とすら感じます。

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コミュ障なんて思い込みでしかない

自分はコミュ障なんだって思い込んでしまっている人。「思い込んでるってなんだよ!」って言いたくなるのはわかるんですが…

自分でそう思い込んでしまっているので、実はコミュ障でもなんでもないって事に自分自身では気が付けなくなっていることが多くあるんです。

人間の思い込みの力って凄まじいんです。

僕の場合、「自分が人見知りだと思い込んでただけだったんだ」って気づいてからとても気が楽になったんですよね。

物心ついた頃からず〜っと「自分は人見知りで恥ずかしがり屋なんだ。」って思って生きてきたんです。それが当たり前だと思っていましたし、改善なんてされるわけもないって考えてた。

それが、ただの思い込みかも?って気付けた時、目の前の霧が晴れていきました。

親の呪いの言葉「親に似て人見知りで、すいません」

これ、親のせいだとか、育て方や生い立ちのせいだとかの話じゃありません。でも、影響があったのは自分でも感じています。

幼い頃、親戚の家に遊びに行ったり、親の友人たちと出会ったときに「こんにちは」の一言が言えない子供だった。言えないというか、そりゃ知らない人に最初から心を許して明るく挨拶なんて出来るわけがないと思うんだ。

現在、自分の子供を見ていると、僕と同じように「こんにちは」が言えない時がある。

そこで感じることだけど「警戒心」。見知らぬ人への「警戒心」の表れだと僕は受け取っている。親戚だったとしても、しょっちゅう会うわけじゃない。年に数回でもその機会があれば良い方じゃないですか。

そんな相手に仲の良い友達や親のように接することが出来なかったとしても、それは生き物として当然のことではないかと感じています。

何度も言われるとそう思い込んでしまう

そうな風にして、うまく挨拶が出来なかった幼い僕は「人見知り」というレッテルを親に貼られちゃいました。

貼られてしまった「人見知り」というレッテルをぶら下げて生きていると、事あるごとに自分でも人見知りだから仕方ないかって思ってしまうようになるんですよね。

自分が本当に「人見知り」しているのか、こいつとは話したくないと思っているのか?正直な気持ちの部分が曖昧になってきます。

思い込みで出来た自分を演じてしまう

完全に「人見知り」だと思い込んで生きていた学生時代、思い込んでいる通りの自分を演じていたんじゃないかと思う。

そんな事ってある?って思われるかもしれませんが、疑問に思わない限りは気付かないと思います

自分のクセや習慣だったり、性格って「自分はこうである」と決め込んでいるので、楽なんですよね。思考の外に追いやっているので疑問を持たずに過ごしてしまう。

仮に治したい部分があって、それを直そうとする努力はすると思うんです。

でも、「治したいな〜」って言っている間って言ってるだけで治すことはないでしょうね。最終的には「これが自分だもん。」とか言って、思い込みの自分自身に戻ってしまう。

僕の場合は、治すとかじゃなく、そもそも違うんじゃないか?って疑問を持ったとこから何かが変わっていきました。

疑問に思う瞬間があったら、それは正しい直感ですよ

僕は自分が「人見知り」だと言うことに疑問を持ち始めたのは最近なんです。3年前くらいですね。

結婚して、子供も生まれて、仕事も楽しくしていますし、初対面でも大体の人とは打ち解けられる。そんな現実が目の前にあって、「あれ?僕って人見知りだったよね」って思い出したんです。

思い出してしまった後、話せなかった頃の自分が妙にリアルに蘇ってきて、これまで話せていたことが話せなくなったり、SNSでも発信したいことが発信できなくなりました。

でも、忘れている時は平気だったんだから、忘れてれば問題ないんだよなって。

ここで疑問が生まれたんです。

僕は自分が人見知りだと思い込んでいただけだったんじゃない?

それに気づいた瞬間、めちゃくちゃ気分が明るくなりました。肩の荷が降りる感覚。

まとめ:本当に言いたいことだけを言えば良い

僕が人見知りを自称していた頃、誰かと話しながら考えていたのは「何かを言わなくちゃ」って事。

沈黙を塗りつぶすために何かを話し出してみても、すぐに会話は止まってしまう。焦るけど、本音は相手の出方を伺っているから言い出せない。相手はこの沈黙をどう思っているんだろう。…。

そんなことの繰り返し。負のループでしかないですよね、本当。

自分が人見知りしてるわけじゃないと気づいてからこんな風に思考回路が変わりました。

・言いたいことだけをしっかりと伝えよう

今はこれだけです。言いたいことだけは思う存分に話し、それ以外は相手の話を聞いている。相手の話を聞いている部分は変化じゃないですけど。

・沈黙は自分一人が作っているんじゃない

会話の中に沈黙が訪れたとしても、それは自分が作っているわけじゃないんです。自分と相手がいて、その場にいる人で作られた沈黙。別に自分でどうにかする必要もないです。

・「人見知りじゃない=おしゃべり」ではない

人見知りじゃないとわかったからと言って、おしゃべり好きになる必要はない。話し方が下手でも、話すのがあまり好きでなくても、そのままで良いと思います。

さらにもう一つ!

自分の「強み」を知っているとその他の「強みではない部分」がどうでもよくなってきます。苦手な部分は「得意な人」に任せておけばいいよねって

そんな「自分の強み」を診断してくれる『ストレングスファインダー』という「自分の強み・才能診断」があります。僕自身もやってみましたが、とっても納得のいく結果と新たな発見がありました。

診断結果を読んで、「あっ、これは自然にやってたけど才能だったんだな…」という初めての気づきがあります。これは是非、やってほしいです!体験記はこちらの記事に書いてあります!

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少しでも、この話に共感が持てた方はこれらの本がさらに背中を押してくれると思いますよ!

こちらの記事もオススメです♪

日本にイジメが多いのは、「友達」しか大切にしないからだ。

「仕方ない、やるか」の繰り返しがコツコツになっていく。

学校・仕事を辞めることが親不孝?その先に幸せがあるなら親孝行じゃないの?

コミュ障を克服するために僕は小説を読みあさった!効果は抜群でしたよ♪

生き方
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書いている人

1983年製。3児の父親。レコーディング・エンジニア。休日や平日の早朝は、趣味とは言えなくなってきた30坪ほどの畑と、1反の田んぼで過ごす日々…(笑)
大好きなお酒から発酵文化に興味を持ち、米を作っているなら麹も!ということでマイクロ麹屋さんを始めました。どうなっていくんだろ、僕の人生。

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