ども、よーへい(@campanella225)です。
「面白き事もなき世を面白く…」
長州藩の尊皇攘夷の志士であり、奇兵隊を創設した高杉晋作の辞世の句ですね。多くの方が座右の銘に掲げていたりします。
僕の大好きな言葉の一つですが、この言葉、よく誤解を招いているようです。
「この句を座右の銘にしている人が全然面白くない」理論
この言葉、周期的にディスられます(笑)その批判内容はというと…
・「おもしろきこともなき世をおもしろく」が座右の銘だと言う人ほど割とおもしろくないという、皮肉…
・なんの根拠もないことなんだけど、座右の銘に『面白きこともなき世を面白く』って書いてる人ほどあんまり面白くない傾向がある気がします。
「面白き事もなき世を面白く」
これを座右の銘にしているのに、ご本人は何も面白いことをしていないというご批判。
あげ足取りだと思うけどね
こう言った批判をする方の中で、この句の解釈はこうです。
「こんなつまらない世の中なら、俺が面白くしてやるぜ〜!」
なので、そう言ってる割にあなたは何かやってるの?とか、面白くないまんまじゃんとか、そう言った事を言いたいわけですよね。
まぁ、あなたを楽しませるために生きてるわけじゃないし、面白さの観点が個々人で違うわけだし…そもそも、その批判自体が面白くないんだけど…
って今日はそんな話がしたいわけじゃない!また、今度(笑)
とりあえず下の句まで読んでから批判したら?
この高杉晋作の辞世の句、上の句の部分が切り出されて使われていることが多い。そのせいなのか、座右の銘にしている方の中でも「下の句」まで言い切らなかったりして、誤解を招くのも仕方のない状態だったりする。
『面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり』
「すみなすものは心なりけり」の部分が下の句ですね。この下の句、高杉晋作が詠んだものなのかは議論が残っていたりする。
これまでは、死の床にあった高杉晋作が上の句を詠み、その看病に当たっていた野村望東尼(のむら もとに)が下の句を付けたとされてきたようです。
ですが、近年の研究では高杉晋作が亡くなる数年前にこの歌が詠まれていたと言う資料も見つかり、正確なことは不明となっています。
下の句も含めて、この句の意味合いを考えるとこうなります。
『面白いと思えることのない世の中を面白く。それを決めるのは自分の心もち次第だ』
自分の心の持ち方次第で、この世は面白くなるんじゃないの?なるでしょ!って事が歌われているんだと思う。これって、とても素敵なことだと思うんですよね。
まぁ他人のことなんかほっとけよ!って話。
どんな環境、状況、境遇であったとしても「面白くない!」って判断するのは他人ではなく自分の心です。逆に「面白い!」って判断するのも誰でもなく自分自身です。
せっかく生きているのなら、今、この瞬間に存在する身の回りの人、物、環境、全てのものを「面白くない!→面白い!」に変えちゃえばいいんだよ。それが出来るのは自分自身の心だけだ。
高杉晋作はそう言いたかったんだろうと僕は解釈しています。
こんな僕を「面白くない!」という方がいたとしても良いんです。それは自分の問題ではなく、その人の問題なんですから。
そう思うとさ、批判してる人にほど送りたい言葉だよな。
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