ども、よーへい(@campanella225)です。
十数年前に購読していた雑誌がある。「SWITCH」。真面目に購読していたのはSWITCHが創刊されて2〜4年くらいの間だったかな。2002〜2006年くらいの出来事。
紙面の写真、扱われる内容、雰囲気、全てが好きだった。一時期は休刊していたと思うんだけれど、今は発行されているみたい。
その間に僕は幾度かの引越しをしては、その都度、保管していたSWITCHも処分してきた。それでも何冊かは残してきたんだよね。
今日は久々にその中の1冊を手にした。2005年1月号。Mr.Childrenの櫻井和寿さんが表紙を飾っていた。
僕が愛してやまない小林武史さんのインタビューも掲載されている。当時、この2人の話題といえば「ap bank」。その設立から、今後の話がされていた。
『僕たちは暮らしの中で信じられるものを幾つ持つことができるだろう。』
表紙で投げかけられた問いかけ。当時、僕は21歳。ちょうど大学を辞めることを決め、次に足を歩み始めていた頃だ。何を持っていただろう?
当時、僕は何も持っていなかった。その焦りを感じていたのは間違いない。「好きな音楽と関係して飯を食っていく」その想いだけが唯一の信じられるものと感じていた。
12年が経ち、再び投げかけられた問いかけ。
僕は生活の中で信じられるものを幾つ持つことができているのだろう?
生活の中で信じられるものを持つ。
どうですか?
何だろう?今の僕にとって、『生活の中で信じられるもの』。
まず感じるのは、「想い」ではなくなったということ。想いって「自分の中で」に限られる話なんだよな。生活の中、暮らしの中で信じられるもの。
それは家族、幾人かの友人、細かいことを言うと自分の畑の野菜とか。ものすごくありきたりの答えになるんだけどね。
信じられるものとして、何を選べるか
もう一度、引用しておく。
『僕たちは暮らしの中で信じられるものを幾つ持つことができるだろう。』
幾つ持つことができるだろう?というよりは、何を選択するのか?なんだろうな。
人にしても、モノにしても選択してるんだよね。僕たちは。選択をしないで全てを持ち続ける人もいるのかもしれない。正直、僕は向いていない。
かといって、最小限に抑えたいとかそういう感覚でもない。
僕たちは暮らしの中で何を信じられているだろう?今の暮らしの中にあるもので自分が信じているもの。信じたいと感じるもの。
そして、次々と新たに入ってくる情報、人、モノ、そこから何を選ぶのか?何を選ばないのか?
その選択の積み重ねが明日の自分になっていくし、これまでの選択の結果が今なんだろう。そうやって積み重ねてきた選択の数・質が暮らしの豊かさを左右する。そんな風に感じている。
選択せずに保留にし続けている間は変化がない。
これまでの自分は何を選び、何を選んでこなかったのか?今の僕はそれを振り返る時期なんだろうな。
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