昨日、『小さなハードルの見つけ方と、それをクリアするコトの副効能。』という記事をアップしたからなのか、色々と考え事をしながら除草をしていた午前5時。もちろん、田んぼのです。
「この米、うまく育つかなぁ…お願いだから育ってよね!」と想いながら水田に手を突っ込む。
除草と言っても様々な方法があるんですよ。先日までは中耕除草機という昔ながらの道具を使用して除草していました。除草剤を使うという方法もありますね。
あと、稲を傷つけないようなガードをつけて草払い機や草刈機を使用するという方法もあります。
その中で現状のぼくはといえば、もっとも原始的だと思われる手を使っての除草。単純に一本一本を抜いていくスタイル。一番、想像しやすいんじゃないでしょうか?田んぼに立って前かがみになって取っていく。
小さなものまでキレイに取り除くのはとっても時間がかかるので、手のひらと指先を使って土をかき混ぜていくんですよね。
そうすることで土から浮き上がり浮力で水面に浮いてきます。もちろん、それを逃れてしまうものもあるんですが…それはまた伸びてきた頃に取り除く。
後回しにするのか、ここでしっかり取り除くのか…どちらが効率的なのか?という葛藤は生まれるのですが、確実に眼に見えていない芽があるのでぼくは後回しにしています。
足元ほど、見えていない
ぼくは4条分を足をひろげて腰を落とし、サーチライトのごとく目を光らせ進んでいきます。(田んぼを縦方向に進んでいくと思ってください)。
実際は4条分と言いながら、手の届く範囲ですね。ここは180cmある身長が活きている(笑)
本当に集中して草を探しながら作業をしているはずなのに、どうしても見落としがあるんですよね。そして、不思議なことに足元ほど見えていない。
イメージはこんな感じ。
まぁ、こんなに浮かれながら除草はしてないですよ…
図にある通り少し先ってとても眼に入ってくる。でも、足元って見ているようで見れていない。
図にしてから気がついたことがあります。足元に残っているということは『一番見えていると思っていたところですでに見逃してんじゃん』ってこと。
見えてるつもりで見逃して、さらに足元にくるとろくに見えてないからそのままになってしまう。
今を見つめられていますか?
ここまで読んでくれた人からは「だから、どうしたんだよ!」って声が聞こえてきそうなんだが、これ実生活というか生きている中で同じことありませんか?
遥か遠い未来は見えないとして、少し先は見えたような気になっている。今この瞬間が大切なことがわかりながらも少し先を見ようとしてしまう。
除草の話にもどってみると実際に足元をのぞき込もうとすると大変なんですよね。
自分の足元というか、現在地点ってけっこう見失ってしまう。少し先の未来に気を取られてしまって今やるべきことが見えなくなる。で、焦る。
何が言いたいかって、草取りも人生も着実に進んでいくしかないよねって話。
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