生きていくペースって変化するもんだ。
もちろん、時の流れは誰の下にも平等で刻一刻と年老いて、「死」に向かって僕らは生きているとも言える。それでも、生きていくペースというのは変化する。
こんなコトを書き始めたのは前回の「生きる、働く、「自分のペース」を考えてみる。」からの延長でもある。
人生のペース。
世の中にはなんて言い方も乱暴だけど、ニュースになっていてもいなくても働き方に無茶があったり、実際に心を病んでしまったり、生きていくことや暮らしていくこと自体が苦しい人たちが多くいる。
その原因って様々だけど、この「生きるペース」ってことのズレが1つの大きな要因ではないかな。自分のコトを考えながら、そんな風に感じた。
思えば縛られてるよな…
考えてみると、「生きるペース」と言ってみても実際に「自分の生きるペース」で生きてきた時間ってものすごく短いんじゃないかな…
幼い頃、学校に通っているような時期において「自分の生きるペース」なんていうものは皆無だったように思う。
「みんな」という基準に合わせて生活しなければならない。興味があってもなくても、決められたカリキュラムにならって学業を進めなければならない。
勉強が苦手でも、得意でもその縛りってものすごいストレスだろう。
自分のペースに気づく
ずっと縛られて生きてきてしまった人にとって、「自分のペース」そのものがわからないことも多いんじゃないかな。僕自身、よくわからなかった。
わからなかったからこそ、学校生活に馴染めず登校拒否してみたり、イジメに合ってみたりと良い思い出があまりない生活を送っていた。
その時も、自分の生きる場所じゃないと思うよりも先に「合わせられない自分」がズレていると認識していたんだよね…。
そういう違和感がある時がチャンス。辛い時もチャンス。しんどいなぁって時もチャンスなんだと思う。自分のペースに気づくために。
そして、変化するのが当然
自分のペースを守ることで、そのペースを許容できない人は離れていくと思う。友人であったり、幼なじみ、親や兄弟だって。
それでも「自分の生きるペース」の方が大切だ。
他人から見たら「あいつ、変わったなぁ」という変化も自分からしたら、やっと手にした「自分の生きるペース」だったりする。数年ごとに変化することもあると思う。
結婚したり、離婚したり、子供が生まれたり、体力が衰えたり…人生の様々な出来事を前に僕らの生きるペースは変化する。変化して当然のこと。
「学校・仕事を辞めることが親不孝?その先に幸せがあるなら親孝行じゃないの?」という過去の記事にも書いているのだけど、自分の人生って自分次第なんですよね。
全ての人が「自分の生きるペース」を守れる世界へ
現状、自分が生きたいようには生きていけないシステムが出来上がってしまっていると感じています。その中でも、かいくぐって自分を貫ける人もいるのだろうけれど…そんな話がしたいんじゃない。
どんな人でも自分の生きたいペースで生きていける社会を作っていくべきなんですよね。今、僕らは僕らの生きたいペースでは生きられない社会を作ってしまっている。僕もその一部分だ。
これからは「自分の生きるペース」で生きていく、そんな人が増えていくに違いない。
何かを規制したり、誰かを処罰していっても根本的な解決はないんだと僕は感じる。
自分のペースの変化を感じ取ること。「自分の生きるペース」で生きていく人が少しづつでも増えていくコト。
それが明るい社会に繋がるんじゃないでしょうか。
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