はい、よーへい(@campanella225)です。
大学を中退してから約10年が経とうとしているんです。その昔、僕は某国立大学に4年間通った挙句に中退しました。理由を簡潔に述べれば、「面白いことがない。学ぶものがない。」ただそれだけ。そんなことを友人や知人に話すと、こんな会話が繰り広げられる…
[voice icon=”https://taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/12/oyayubi_151209.jpg” name=”親指姫” type=”r fb”]よくそれだけの理由で大学やめたよね〜一応、国立大だったんでしょ?[/voice]
[voice icon=”https://taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/11/profile_151113.png” name=”よーへい” type=”l fb”]そうそう、”一応”国立大だったよ(学歴を機にするタイプの人なんだな…ふむふむ)[/voice]
[voice icon=”https://taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/12/oyayubi_151209.jpg” name=”親指姫” type=”r fb”]結構、勇気いらない?友達とか、親も反対するでしょ?私もそんな風に会社辞めちゃいたいよ…でもさ。[/voice]
[voice icon=”https://taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/11/profile_151113.png” name=”よーへい” type=”l fb”]でもさ…?(だいたい言うことはわかってるから、聞きたくないな…)[/voice]
当時、僕が大学を辞めるというと多くの友人・知人たちが沢山のアドバイスと反対意見を述べてくれた。それは仕事や学校を辞めたいけどやめられない人たちの「辞められない理由」とほぼ合致する。
彼らのくれたアドバイスや反対意見は何一つ僕の心に響くものはなかった。そんな聞き入れなくてよかったアドバイスと大学を辞めて「手にしたモノ」を書きたいと思います。辞めたいけど辞められない人たちの小さな「ヒント」になれば嬉しいです。
まずは無視してもよいアドバイスたち。
その1.就職はどうするんだ?
これ、めちゃくちゃ多かったです。事実上、家計を圧迫されかねない親からは言われても仕方のない事かもしれませんが、それもバイトするなり何なり回避はできます。ただ、一番わけのわからないのは友人にそれを言われる事でした。
人の心配する暇があるなら、自分の人生についてしっかりと考えてください(笑)まぁ、考えている人はほとんどいなかったですけど。自分の生き方を考えるというより、「誰に雇ってもらうのか?」それしか考えてない感じですよね。
そんなもん自分でどうにかするしかない
大学に在学したとしても、退学したとしても就職したければ自分で動くしかないのは変わらないはずです。それが在学したからと言って何か楽になるのでしょうか?仮に大学に残れば就職が確保されるとしても、「興味のない事」に自分の人生を費やすなんてまっぴらです。
もう一つの衝撃は「就職」の一択しか発想にない
決まりきって「就職」はどうするのか?ですからね。「就職」以外の選択肢が思考にない。もう主義なのかもしれませんね。就職至上主義(笑)
人に使ってもらうことでしか生きていく道がないと思っている。信じている。信じ込もうとしているのかもしれません。切なすぎる…
人生って、もっともっと自由で自分のしたいように出来ます。出来ないという方はしていないだけです。
その2.もったいない
その1とセットで言われます。せっかく入学したのだから「大卒」の称号を得た方がよいと言われます。
それを得て何が変わるのか?彼らの主張は「初任給」です。金ですね(笑)これは価値観なので仕方ないですが、しょうもない話だとしか感じませんでした。それよりもやりたい事をやる事の方が重要だと思いますし、人間が生きている意味ってそこに集約されませんか?少なくとも僕はやりたい事をやるために生きてます。
微々たる「給与」の差のために生き方も犠牲にする覚悟なんですね
こんなことを言うと、最初は「微々たる差」なのかもしれないけれど、年を経るごとに差は開いていくという主旨のことを伝えられる。
う〜ん。もう書く必要もないのかもしれませんが…それって「定年」まで同じ会社で駒のように使われる事が前提ですよね。今後、そういう会社も減っていくと思うんですけど、現状の彼らの理論でいけばそういう話です。
「定年退職」までつつがなく働くことで「安定」した収入を得ていくというライフプラン(笑)もはや、そんなものはプランとも呼べない時代だと僕は思うのですが、いかがですか?
そもそも「大卒」って必要?
この話をしてきた人たちは「◯◯大学卒業」という称号を得て、何をするんだろう…今でもわからずじまいです。
堀江貴文さんは「東大以外の大学は行く意味がない。」とおっしゃってますね。これは例として東大を上げただけだと僕は思います。卒業大学の名前が欲しいだけの人は最低限はそのくらいじゃないとってことですよね。
東大よりブランド価値が低くて、授業料の高い大学にいく意味はない。そういう意味で東大のコスパはものすごく高い。日本のマジョリティたるマイルドヤンキーにとっては東大と慶應のブランド価値は天と地程の差がある
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) March 16, 2014
その3.縁をきる
これまでの二つが大多数のアドバイスとも言えない説得たちですが、これらを拒否しつつ持論を展開すると最後には脅されます。友人達にとっては最後の切り札なのでしょう。この辺になってくると…
って咆哮してしまいそうです。
でも、そんな「縁」を盾に脅してくる友人はこちらから連絡を絶ってしかるべきです。「縁」を繋ぐも切るも本人達の意識でどうにかなるものとも僕は考えていません。連絡を絶っても「縁」が切れない人もいますし、連絡をとっていても切れていく人もいます。
自分のやりたいと思っていることを感情論で邪魔してくる人は親友であっても、親であっても、回避してよいでしょう。
「辞めた」事で手にしたもの
こうやって書いていると何もかも失っていきそうですよね。これまで築いてきた関係や実績、信頼とか…実際、退学してみて思うのは失いますね。ほとんどを。これは僕個人の性格のせいなのかもしれませんが、やめると決めてから失うものに価値を見出せなくなりました。
友人達とも価値観を全く共有できないですし、彼らが大切にする「繋がり」とか「絆」、「仲良し」といった言葉で語られるもの全般です。
残念ながら、そういう方々はイケハヤさんの言われてる「仲良し教」に早くから入信され根っからの仲良し教信者なんだと思います。
嫌われることが怖くなくなった
これは大きな収穫でした。嫌われることが怖くなくなったというよりも「嫌われてなんぼ」なんじゃないかと。
「大学を辞める」、「仕事を辞める」で悩んでいる方、そしてそれを止めようと必死になる方、そのどちらも結局は「嫌われるのが怖い」んだと僕は思います。
友人から嫌われる事、周囲から嫌われる事、社会から嫌われる事、常識から嫌われる事、それが怖いんです。
自分が嫌われたくない(=拒絶されたくない、逸れたくない)ものってそんなに「大切」ですか?自分の人生(=時間)は自分の命そのものです。それよりも大切なんでしょうか?もし「大切」ならそれで良いのだと思います。
ですが、嫌われたり、拒絶や、常識から逸れていく事からしか本当にやりたい事はやれないです。
そのうち新たな仲間ができる
嫌われる事を恐れず、自分を生きてきた人たちとは分かち合う価値観があるので、知らず知らずのうちに「出会い」ます(何故か出会っちゃいます)。一人ぼっちになったとしても、もっと大切な何かを共有できる人たちと新たに出会えます。そういう仲間は次に何かを始めようとしても応援してくれる人がほとんどでした。
そして、辞めたからこそ出会えた人たち物事にこそ自分の本質的なものが詰まっています。全てを捨てて見えてくる何かに本質的な自分がありました。
その手助けに『ストレングスファインダー』はオススメです!5つの「才能」を教えてくれますよ!僕がやってみた結果はこちらの記事です。
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それでも、嫌われるのが怖い方にオススメの本たち。これを読んで僕には共感しかなかったです。
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