さて、みなさんは「三日坊主」ですか?「飽き性」ですか?
そして克服したいですか?
正直。ぼくはめっちゃ飽き性ですし、これまでの人生で多くのことを三日坊主で終わらせてきました。まぁ自慢することでもない…
多くの方が続けられない事に対して自己嫌悪や、自己批判をしてしまっているようですが、「好き」でもない事を頑張って続けていく必要ですか?
それでも続けなければいけないことならば、きっと続けられると思いますし、ハマり込むほど「好き」にならなかった事を続けられなかったからといって、自分を否定したり、他人に馬鹿にされるようなことはないです。
自慢することではなくても恥じることではないとぼくは考えています。『どうしても飽き性や三日坊主を治したい!』という方にこの記事は役立たないです。
治したいと意気込んでいた方も気持ちが揺らぐようなら読み進めていってみてください。
夢中になれないコトなら不要なんです
そもそも、どうして途中でやめてしまうのか?続けられないのか?
答えは簡単ですよね?
好きじゃないからです(笑)どうしてもやりたいコトではないから飽きるし、続けられなくて三日坊主になってしまう。
でも、それで良いと思うのです。
やってみたコトが重要!
なぜなら、「あれ、やっておけば良かったな…」なんて事がなくなる。
一度でもやりたと思った事、思ってしまった事はやらないでいると後悔に変わっていきます。これは健全じゃない。なので、なんでもやってみちゃう(笑)
そして、「つまんないな。続かないや…」って思ったら、もうやめる。興味が戻ってきたら再開してもいいですよね。
やらない後悔より、やって後悔した方が良い。
こんな言葉もありますが、やって後悔する事はないと思います。すごくお金をつぎ込んだとかだと後悔するんですかね?でも、それはやった事に対してではなく自分の計画性の問題ではないかなぁ…と感じます。
タイミングが違っただけかも
さっき、興味が戻ってきたら再開してもいいんじゃない?って事を書きました。
これって往々にしておこる事です。ぼくにとっては畑がそれに当たるんですけど、学生時代に野菜ではないのですが観葉植物を育てようとしたコトがあります。
ですが…全くうまくいかない。
当時は『部屋にグリーンがあったら素敵じゃない?』という方向で興味を持っていたのですが、しばらくすると世話が適当になり枯れてしまったコトがあります。思い出すと、可哀想な事をしたな…と。
切り取る方向性が変化する
そして今、対象は野菜に変わっていますが毎日のように畑に通って作物の世話をしています。よっぽど楽な観葉植物の世話ができなかった人間なのに。
これは興味の方向性の違いなんですよね。
当時は「育てる」ということに興味がなかったんです。今はそこに興味が向いている。なので楽しくて続けてしまう。
少しでもやってみたことは経験として積み上げられる
「少しだけやったって、物事の本質がわかるはずがない!続けろ!」なんて小言をいうオッサンもいます。でも、そんなことって全くないんですよね。
好きで始めたことです。ものすごい学習能力を人間は発揮しているんですよ。むしろ、そこで触れている本質にその時は魅力を感じなかっただけ。
それでも、経験値としては積み上がっている。で、いつか日の目を見るときがきたらOKですよね。
多動力として力を発揮しましょう
ホリエモンこと堀江貴文さんの著書「多動力」が話題になっていました。ご存知でない方はぜひ読んでみていただきたいです。
大きく時代が変化しようとしている渦中に僕らは生きています。これまでの年功序列や、終身雇用が崩落。
そもそもが間違った概念であったように感じるのですが、高度経済成長期においては人生の舵取りを考えなくても生きていけるという魅力を発揮していたのだと思います。
特に僕のような凡人にとっての生存戦略がこうした多動力に繋がる飽き性だったり、三日坊主なんですよね。
明らかな才能を持った人は良いんです。わかりやすいところだと、サッカーや野球選手とか。
僕らは100点を狙うのではなく、70〜80点を出せる分野を数多く持つのが生きていく手段になると考えています。そのためには、どんどんやってみるしかないんですよね。
”好き”が見つかるまでやめまくる
というわけで、飽き性や三日坊主を恐れたり恥じたりしないでください!自己嫌悪に陥っている暇があるならば、次に面白そうなことに手を出して生きましょう!
そのうち、100点は出せなくても80点くらいに好きになったり断続的にでも続いていくものが現れていくはず。
少しでも、ヒントになれば幸いです。
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