東京生活で精神を消耗し、4ヶ月で音楽スタジオ2社を辞めた時の話。

イラスト 働き方
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こんにちは。色々と辞めてきてばかりのよーへい(@campanella225)です。

辞めた経験がある人は仕事でも学校でも、さっさと辞めてしまえば良いっておっしゃることが多い。

それは、なぜなのか?

辞めることで「自分」で生きていくということを意識するようになるからじゃないだろうか?

僕がそのように考えるようになったのは、僕自身が会社を転々とした経験があるからです。

1社目は心の風邪を患い退社

僕は大学を4年間通ったあげくに中退しました。元々、バンドをやっていたこともあり、大学を辞めてレコーディングエンジニアとして音楽業界に入ることを目標に専門学校へ入学。

当時の僕が目標に掲げていたのは「音楽プロデューサーの小林武史さんと仕事をする!」ということでした。ご存知ですか?超有名な音楽プロデューサーです。わかりやすいところで言うとMr.Childrenのプロデューサーを長らくやっておられましたね。最近ではバンドのBack Number。

親も友人もそんなのは夢物語だと言わんばかりでしたが、大学を中退。その後、2年間の専門学生生活を送り、比較的大規模な音楽スタジオに入社しました。

夢の第一歩、アシスタント・エンジニアになる

まず入社した会社は音響ハウスというスタジオ。最初はレコーディングエンジニアのアシストをするアシスタント・エンジニアというポジションにつきます。実際にはアシスタント・エンジニアのアシスタントって感じですけど…ようは何でもやる雑用係です。

この会社は音楽業界の中でも老舗スタジオでした。音楽録音だけではなく、マスタリング、オーサリング、MAなどの業界での様々な仕事をトータルで請負うことが出来る設備を持つスタジオです。ちょっと専門的な話になるので詳しいことは割愛します。

辛いことがあっても辞めるなよ〜。僕らは君にこのスタジオで働いて欲しいから来てもらってるんだから。自信を持ちなさい。

そんなような事を言ってもらった記憶が残ってる。初めての東京で初めての就職、正直、「じ〜ん」と心に響きましたね。やってやるぞ!って気合いを入れて仕事してました。そんな中…

レコーディング

今も、こういうの見てるとワクワクしちゃうけどね

入社して1ヶ月、電車に乗れなくなる

当時、僕が住んでいたのは文京区にある2DKのアパート。一緒に上京したテレビ番組ADの友人とハウスシェアをして暮らしていました。今思うと都内でもまだ閑静な場所だったんだなぁと思う。

勤務地が銀座だったので、巣鴨から神田まで山手線。そのあとに地下鉄有楽町線で銀座までという通勤ルート。これって合理的な乗り換えなんですかね?正直、そこも怪しいまま通勤してましたね。

入社して一ヶ月が過ぎた日、アシスタントのアシスタント通称「アシアシ」の状態だった僕にアシスタントとしての仕事が入っていました。初のアシスタント業務でワクワクと緊張が織り交ざった心境で少し浮き足立ちながら、巣鴨駅に向かった。

電車がホームに入ってくる、扉が開く。巣鴨の朝は降りる人より乗る人の方が多かったような気がする。

一本目の電車に乗れない。もう、足が進まないんですよね。この時、自分の状況は全く理解できてませんので、「なんだよ、これ…」っていう驚きだけ。

2本目の電車にどうにかして乗った。乗ったけど、次は吐き気がして駒込で下車。そのまま欠勤。

さすがに無断欠勤は出来ないと必死に電話した。「体調不良で行けません。」

心療内科へ行くことに

せっかくのアシスタントデビューを無駄にし、翌日は必ず行きますと言っていたけど、翌日もやっぱり電車に乗れなかった。駅に到着して、その時点で吐き気が激しく足元もおぼつかない。巣鴨駅前のサンマルクで実家に電話した。

「どうもおかしいんだけど、電車に乗れなくて仕事に行けないんだ。」

電話の後、そのまま最寄りの心療内科を受診した。

心の風邪をひいたらしい

診察結果として「うつ病ですね」とは言われなかった。東京に引越してきて環境の変化に追いついてないんだろうね。そんな感じだったような気がする。この時期の記憶ってあいまい…

結局、何だったんだよ!って今は思うのですが、その時はもう何でもよかった。仕事に行けない事をどうにかして欲しいという気持ちもあるのだけど、それすらどうでも良いような感覚。

幾つかの薬を処方され、服用するようになった。

心療内科

あの眠気を超える眠気にはあったことがない

薬を飲むと気持ちは少し落ち着いた。これなら電車も乗れそう。だが、そう簡単にことは進まない。翌朝、目をさますと出社時刻をとっくに過ぎていた。それでも眠たい。これ、経験者にしかわからないのですが徹夜して眠たいとか、そういうレベル・次元の話じゃないんですよね。立ってても寝てしまうし、仮に走っていても眠れるんじゃないか?っていうくらいの眠気。気絶に近いですよ。

そんな抗いようのない眠気を前に、僕は仕事を続けられないなと確信した。

与えられた1週間の猶予

会社の上司と話し合い、「1週間はゆっくり休め」って話に落ち着いた。1週間後に進退をどうするか決めろという話。

でも、その話をした時点で僕は「辞める」ことは決めていた。むしろ、その場でお前は使えないって言って欲しいくらいだった。でも、与えられてしまった1週間の猶予。

好きな仕事だけど、嫌なものは嫌なんだ

「何か」違うって感じてしまっている自分の直感。この職場じゃない。こう言う事を言うとナメたこと言ってんじゃない!っていうおじさんや同年代がいっぱいいる。

だけど、そういう直感ってとても大切だと思うんです。直感の反対は論理になると思うんですが、論理的な理由なんてこじつけや、そう思い込みたい自分が作り上げているニセモノの気持ちでしかない。それよりも、ただそう感じる直感の方を僕は信じる

1週間後、事務的な手続きと「頑張れよ」の一言を土産に頂いて、僕は音楽スタジオを辞めた。

2社目は自分のワガママで辞めました

仕事を辞めてからの2週間くらいは昼間から酒を飲み、映画鑑賞したり遊びに出かけたり、まぁ酷い有様だった。面白いように崩れた生活を送り、それに飽きてきた頃に本来の目標を思い出した。

正直、もう東京には住んでいたくなかった。でも、「小林武史さんとレコーディングエンジニアとして仕事をする!」っていうやり残しがあった。それだけは何とかしておきたい。その思いだけで、小林武史さんの会社・烏龍舎の求人窓口に連絡、面接をしてもらい、運が良かったのか、実力なのか、何なのかわかりませんがアッサリと入れてもらった。

ひたすら、何でも係りをやっていた

所属アーティストに関係することは何でもやっていた。テレビ出演のための機材搬入・搬出、レコーディング現場への手伝い、ライブ本番や、ライブ前のリハも…とにかく何でも屋さん。

話はズレますが、ミュージックステーションの現場に同行したことがあるんです。

あの番組ってもの凄い労力・時間をかけて作られてるんですよ!本当にビックリしました。放送当日は朝からず〜っとリハーサル。レギュラー放送であの状況って特番の時なんて想像を絶する世界だろうな…ってテレビ業界はヤバイです。

マネージャーへの転身を勧められ、それを断り、あっさり退社

ここでも一ヶ月ほどで転機がやってきた。今度は病気じゃなく、「レコーディング・エンジニアを諦めてマネージャーに転身しないか?あるアーティストのアシスタントマネージャーをして欲しい。」という話。

僕が何をしに住みたくもない東京に住み、ここで働いていると思ってんだ〜!!

という事で、退社を決めて辞めました。

1社目より2社目はアッサリと辞められた

やっぱり「慣れ」というのは出てきますね。どんな事でも。大学を辞めていたので1社目も辞めやすかった。正直、大学と職場2社の中で辞める時に一番迷ったのは?と質問されたら答えは「大学」になる。

迷ったというか、どうなっちゃうんだろう…という不安。怖かったですね。

でも、辞めたことで何かとんでもなく悪いことが起こるのか?というと、何も起きません。「辞めた」という事実があるだけです。

夢にとらわれている時間はない、刻一刻と死んでいってるんですよ

僕はこうやって仕事を辞めて、地元に帰ってきたわけですが多くの人がこんな言葉を言っていました。

  1. せっかく叶えた夢なのに…もったいない!
  2. 仕事を辞めて、これからどうするの??

まず一つ目。せっかく入った「憧れの会社なのに」に置き換えても良いです。入るまでは夢や憧れだったのは間違いないです。でも、入ってみて実際は違ったな…とか、僕の2社目のパターンのようにやりたくない事をしなければならなくなってしまったのなら、さっさと辞めてしまえば良いです。

その方が会社にとっても、自分にとっても無駄な時間・労力が大幅に少ない。

ホリエモンこと堀江貴文さんの著書「ゼロ―なにもない自分に小さなイチを足していく」でおっしゃっていたのですが、

「Time is Life(時は命だ)」

「Time is Money(時は金なり)」はよく言われてきましたよね。そうではなく、時間とはお金ではなく「人生、命」そのものだという話です。

それを意識しだすと、日々の一瞬一瞬をどう生きるのか?が変わってきます。

そして、二つ目。大きなお世話ですよね(笑)

自分の人生ですから、自分でどうにかするしかないんです

そういう思考回路じゃない方は仕事を辞めたりしないほうがいいかも。「平日は耐え忍んで、週末にハジける」っていうルーティーンを続けていく方が幸せというか楽だと思います。何も考えないで良いですからね。

自分の人生の舵を他人に委ねるのか、自分の進みたい方向へ好き勝手に進めるのか、それだけの差です。

自分の人生・自分の命を自分で生きるという意識を退職から学びました。

東京から脱出して、こんな楽しいコトが出来ている

東京で働いていたら、今夢中になっている「ロケットストーブで炊飯をする」なんて事も出来なかっただろうし、ワインの手作りもやっていなかったに違いない。

今はこんな事をして、人生を楽しんでいます♪

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最後にオススメ転職サイトのご紹介。

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書いている人

1983年製。3児の父親。レコーディング・エンジニア。休日や平日の早朝は、趣味とは言えなくなってきた30坪ほどの畑と、1反の田んぼで過ごす日々…(笑)
大好きなお酒から発酵文化に興味を持ち、米を作っているなら麹も!ということでマイクロ麹屋さんを始めました。どうなっていくんだろ、僕の人生。

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コメント

  1. 不動明王 より:

    東京生活4年目の秋に突入いたしました。僕も同じような体験をしております。美容の世界です。凄くわかる記事です。心が壊れてしまったら何もできなくなりますが、いくら歳をとろうがやっぱり命ある限り挑戦していきたいです。何回もやり直せばいい。世間の冷たい常識なんてきにする必要はないです!

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