僕の今年の漢字「友」生き方の変化。まずは自分をさらけ出すことから始めよう。 ‪#‎EdgeRankBloggers‬

今年の漢字 生き方
この記事は約8分で読めます。

こんにちは!よーへい(@campanella225)です。

今回は、人気ブロガー10名による合同メルマガ『Edge Rank』での今月の共通テーマ「今年を表す漢字一字」に乗っからせてもらいます!

僕の今年を表す漢字一字「友」!

『友』の意味は、

《「共」と同語源》

1 いつも親しく交わっている相手。友人。朋友 (ほうゆう) 。ともだち。「良き―に恵まれる」

2 志や目的を同じくする人。仲間。同志。「学問の―」「類は―を呼ぶ」

3 ふだん好んで親しんでいるもの。「音楽を―とする」

引用元:goo辞書

[voice icon=”https://taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/12/oyayubi_151209.jpg” name=”親指姫” type=”r fb”]どうしたの?「友」なんて、よーへいらしくないんじゃない?(笑)[/voice]

[voice icon=”https://taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/11/profile_151113.png” name=”よーへい” type=”l fb”]やっぱり?(笑)そう思うよね〜[/voice]

[voice icon=”https://taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/12/oyayubi_151209.jpg” name=”親指姫” type=”r fb”]いつも、「仲良し」はいらないとか、友達なんていらないとか言ってたじゃん?[/voice]

[voice icon=”https://taka-yohey.com/wp-content/uploads/2015/11/profile_151113.png” name=”よーへい” type=”l fb”]そこについては考えは今も変わってないよ。でもさ…。[/voice]

今年の漢字一字を「友」にしたワケ

僕はこれまで、「仲良し」はいらないとか「友達」もいらないなんて言ってきたことが多々ある。そこには変化はない。やっぱり同じことを考えている。

それでも、今年の漢字一字として選ぶなら「友」になってしまった。そこには「友」というものの捉え方に変化が出た1年だったことが理由に挙げられる。そして、それはこれまでの生き方からの変化でもある。

これまで人との関係を「捨てたり」、「絶つ」ことが多かった。それは「友人」と呼ばれる人に対して「友」という実感が持てていなかったことと、持つ気もなかったんだなと今は思う。にもかかわらず、「友達がいない」ことに寂しさや孤独感を感じることもあった。

「なんなんだよ!お前は!」と自らツッコミたくもなるんだけど、そんな人間なんです。

心を許すとか、その感覚すらわからない

これまで小学校、中学校の卒業、高校の卒業、大学中退、専門学校の卒業、学校という事を区切りとして考えるとその度に友達は入れ替わってきた。意識して付き合いを断っていたことも多々ある。

そんなことはごく当然で当たり前だと感じて生きてきたのだけれど、意外と世の中ではそうでもないらしい。

多くの人は高校に入ったとしても小中学校の時の友人と遊ぶし、交友関係も保っている。正直、僕はそれが理解できなかった。小学校、中学校と「いじめ」られていた。その時に「こんな奴らと今後の人生で関わらない!」と心に決めたし、友人なんて言っても人間は一瞬のうちに手のひらを返す事を身を持って学んだ。

そんな僕は、心を許すという感覚すらわからなくなっていた

コミュ障

入学・入社のイメージ図。新たな環境での出会いって、こんな感覚でしたね。

共有する・共有したいような「何か」もない

もう一つ重要なこととして、友人たちと共有したい「何か」がなかった。記憶、思い出、感覚。そう言ったこと。

記憶や思い出を語り合うというのは今も好きではない。

それよりも「今」楽しいことを話していたいし、未来に想いを馳せていた方が格段に楽しい時間だからだ。過去を懐かしむのは、もっともっと年老いてからで良いと僕は考えている。「今」を語る上で必要ならば思い出を共有しても構わないけど、単に「あの頃、楽しかったね」なんて話はしたくない。言わなくても知ってるよって思うだけだ。

感覚のズレ。

思い出話のことを一つ取っても「感覚のズレ」なのだけど、色々と生きにくかった。働き方や生き方、違った価値観を受け入れていったり、知ることは大切だ。でも、「大多数の価値観=世の中、常識」を正しいこととして押し付けてくる人は鬱陶しい。

学校という範囲内で出会った多くの人がそのタイプだった。故に少しでも気持ちや実質的な距離が離れていった交友関係はガンガン断っていった。いてもいなくても同じなら、その方が気楽だ。

コミュ障

無事に送り出した後は、鍵をかけ扉を閉ざす。

でも正直に言えば、どことなく寂しさもつきまとう。気楽だから「独り」を選ぶ、でも同時に寂しさも常につきまとう。そんな事を繰り返しながら生きてきた。

今いる友人には心を許してるんだな

そうして、「誰かに心を許す、自分をオープンにして接する」という感覚が欠如したまま何年も過ごしてきた。その間にも友人はいてくれたし、今も仲良く付き合っている友人がいる。

彼らが僕に愛想を尽かさないでいてくれることは今思えば奇跡のような気がする。実際、関係を絶ってしまったほとんどの人は帰ってこなかった。そして、こういう事を書くことで新たに離れていく人だっているんだろうな。それはそれでかまわない。

僕が正直に生きて、発言して、それでも「お前はお前だ」と言ってくれる人が僕にはいるんだということに気がつけた。そして、そういう人には心を許していたんだなとも感じる。

「友達がいない」から抜け出すには、自分をさらけ出すしかない

結局のところ、僕と「友人」のミスマッチは僕が「自分」を出してこなかったことにも原因がある。相手にとっても僕は「謎」だったに違いない。僕からしても理解不能だったように。

自分で心に鍵をかけてきたくせに、「友達がいない」と感じながら生きてきた。友達がいたとしても、その存在を「友」として認識してこなかった。今も考えは変わらない部分として、わかってくれる人が少しでもいたら良いと考えている。でも、閉ざしていたら誰からもわかってなんかもらえないんだよね。

自分をさらけ出すしかない

これに尽きる。出すだけ出して、それでも近くにいてくれる人は大切にしたい。

相手にとってもわかりやすいです

さらけ出すことによって近づいてこなくなる人、去っていく人がいる。逆に以前より親近感を持ってくれる人、好意を持ってくれる人もいる。

相手にとっても「僕」という人間への判断材料が増えるんですよね。

勇気をもらった一冊「媚びない人生/ジョン・キム」

自分をさらけ出すには、「自分」を持っていないと出せないと感じる。虚勢をはるのでもなく、自分は自分でいるしかない。この何年かそんな事を考え、自分を見つめ直してきた。その中で勇気をくれたのは一冊の本だった。

この中でこんな言葉がある。

従順な羊ではなく、野良猫になれ。

引用元:媚びない人生

これ、僕にぴったりだなって。

「従順な羊」にはそもそもなれなくて、野良猫みたいに生きていたけど、野良猫というよりは野犬か。誰にでも牙を向けてきたもんな。

そうではなく野良猫のように自由な自分を確立しつつ、柔軟に生きていきたい。そう感じた時、もっと自分をさらけ出そうと思えた。

コミュ障

自分をさらけ出すの、こんなイメージ。風通しはよくしておかないとね。

このブログもその一端

ブログを書くにあたって、最初はブログ専用Twitterアカウントを作っていたんです。Facebookの個人アカウントにも更新記事の情報は流さないでいた。それは何となく友人・知人に知られたくない気持ちがあったから。

今はTwitterアカウントも個人のものに統合、Facebookの個人アカウントでもそのまま更新情報を流しています。こそこそと隠れるようにブログをやっていても仕方ないという気持ちと、これじゃ何も変わってないな…という想いがあった。

今では、もういいかって吹っ切れてしまって顔出ししまくりのブログになってます(笑)

まとめ:「認め合える」友達って大切ですね

これまでの人との関係を「捨てたり」、「絶つ」ことが多かった人生から、今年は「友」という存在を大切に思えるようになった年になった。

そこには新たな出会いもあれば、昔からの繋がりの中での気づきもあった。こうして、ブログを書き始めたことによって再確認できた関係もある。

共有する・共有できるモノは全くなかったとしても「認め合う」事のできる友人はとっても大切です。そんな人はたくさんはいないんですけどね。認め合うのが難しいなんて、それもおかしな話だ。

とても実り多い一年になりましたね。来年のミッションを年始にまとめよう。

生き方
スポンサーリンク
シェアはコチラからお願いします!
書いている人

1983年製。3児の父親。レコーディング・エンジニア。休日や平日の早朝は、趣味とは言えなくなってきた30坪ほどの畑と、1反の田んぼで過ごす日々…(笑)
大好きなお酒から発酵文化に興味を持ち、米を作っているなら麹も!ということでマイクロ麹屋さんを始めました。どうなっていくんだろ、僕の人生。

最新情報はコチラから
タイトルとURLをコピーしました