5月の連休以降、5時には起きて畑に出かける日々がスタートしている。これは田植えが終わったらはじまる早朝草取りの前哨戦でもあるんだよね。この時期にしっかりと早朝作業モードを作っておく感じだ。
今年は異様に早い梅雨入りとなってしまって、思うように作業が進まないかもな…なんて思っていたけど、今のところ畑は順調。
草との共生を図りつつ、無農薬無化学肥料をベースに栽培しています。たまに無肥料にしてみたりね。豆類やトマトは無肥料で全く問題ない。
玉ねぎはもう少し施肥しておいても良かったかなぁ…なんて、少し反省もしているところ。
こうして考えてみると、日々の多くを田畑に費やしているんだよね。自分でも少し笑っちゃう。ここまでやる必要ある?って。そんなわけで今日は畑の魅力について考えてみたいと思う。
畑の魅力って何だったっけ?
以前にも書いたことあるよなぁって探してみると、
もう4年前の記事か…(サボりすぎだぞ!)。
久々に読み返してみて、この頃に感じていた魅力ももちろん理解できるし、今も感じられるけれど…少し嘘くさい(笑)自分で言うのもなんなんだけどさ、嘘くさい。読み返してみて感じてしまった。
畑の魅力ってもっと内に向かって深まっていくもののように今の僕は感じているんだよね。
確かに自然の前での無力感を感じながらも、こうしてみようとか次はどうしよう?って考えてくことも面白さや魅力の1つだ。
収穫物の交換やお裾分けがあるのも人と人とのコミュニケーションとして楽しさも感じる。
でも、それだけでは不十分なんだよね。
目の前の小さな世界に没入していく感覚
久々にこうして書き始めてみたわけだけど、きっかけとしてはこちらのツイート。
神秘主義には陥りたくないのだけど、畑で過ごす1時間とか2時間ってけっこう不思議な時間なんだよね。何か別世界にアクセスしてる。そんな事がたまにある。
— 高下陽平|Youhei Takashita (@campanella225) May 18, 2021
朝の1時間半、夕方の1時間、昼下がりの2時間。いつでも良いんだけど、妙に時間が濃密な時がある。
もちろん作業内容はその時々で違っていて、苗の定植をしている時があったり、ひたすら草刈りしていたり。次の植え付けのために畝の整備していたり、収穫していたり。
限られた時間でなんとか効率よく動こうとか考えながらやってはいるのだけど、気づくと時間が過ぎていて作業もそこそこ済んでいた…ん?
そんな事が稀に起こるんだよね。
記憶はあるけど、時間感覚がズレる
ちろん1人で作業している&他の畑仲間がいない状況という時に限られることではある。
朝焼けを浴びながら草を刈り、土をならす。スコップで穴を掘り、育苗ポットから育てた苗を取りだす。この瞬間が意外と好きだ。
グルグルとポット内で巻いてしまった根っこを見ていると少し微笑みたくなる。でもきっと、実際の僕は微笑んでいない。そんな気がする。掘った穴に水を注ぎ沁み込ませたら、苗をそこに置く。
土を被せ、強く地面に押し付ける。あとは燻炭をぐるっと1周りまいて定植完了。
記憶はあるけど、実際の経過時間と自分の中で考えていたことや行ったこととの感覚とで整合性が取れない感じが残る。
作業しながら考えていることも覚えているし、さっきとんでもなく太いミミズがいたなぁとか、前作はこれがよくなかったのかな…とか考えていたのは確かなんだけどさ。
大袈裟な例えになるけど、浦島太郎だよね。彼が竜宮城で体感していた時間経過と、実際の世界の時間経過にはズレが生じてる。その感じに近い。
自分の中の野性
ただ、浦島太郎と違うのは実際に時間は過ぎ去っていないし、僕も老人にはならない。どちらかといえば、頭の中はスッキリとしているし次はこうした方が良いんじゃないかってアイディアが浮かんでいたり。
毎回、そこまでミラクルばかりなら良いのだけど、それはたまにある程度の話。でも、これまで気づいていなかった土の変化とか、草の生え方、匂い、違いを感じるなど「違い」「異変」には本当に気が付きやすくなる。すごく野性味が増してる状況になっている気がするんだよね。
集中しているからとか、経験値が積み重なったとか、色々と理由は探せばあるんだろうけど。
僕の感覚としては土に手を入れることで別世界にアクセス出来ている感覚が強い。それは別次元の世界ということではなくて、自分自身の中にある世界なのかもしれない。
神秘主義は正直なところ好きじゃない。だから、こういう話もあまり話したりしないのだけど、否応なくそういう感覚を感じてしまう瞬間が田畑の作業にはあるんだ。
その瞬間の楽しさが畑の魅力になっているのは間違いない。具体的なベネフィットがあるとか、そういう事じゃなくてさ。
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