「もう少し、大人になりなさい!」
そんなセリフ、長男で生まれ妹がいる僕にしてみると嫌ってほど言われてきた。間違いなく言われてきたよね。「お兄ちゃんでしょ?」ってのも同じくクソワード。
この年齢を基準とした、他人からの価値観や判断の押し付けには多くの人が日々、疲弊しているんじゃないかと感じる。
年齢が上だからって押し付けられる価値観からどうやって精神を守っていくか?一家の長兄として生まれ育った僕は、ある意味でその技術を知るために日々思考してきたようにも感じる。
「おとな」って存在してるんですか?
正直、「おとな」なんているんでしょうか?年齢でいう20歳を成人として「おとな」と考えた時、どれだけの人が「おとな」と言えるだろう?
同様に30歳、40歳、50歳…どこまでいっても全員が「おとな」とは言いきれない。むしろ、「おとな」とは言いがたい人が増えていく印象を持つのはぼくだけだろうか。
「おとな」の定義があいまい過ぎる。
そもそも「おとな」という存在に定義がない。もちろん、辞典をひけば言葉の意味合いは説明してくれます。でも、それだけではイマイチ納得がいきませんよね。
「それを自分なりに定義して話を展開しろ!」というのが、今回の話なのでしょうけど…そういう話でいけば、ぼくの結論は「おとな」なんていない!となります。
厨二病みたいなことを言い出してますね、はい(笑)
年齢的なことではくくれない、何かが出来たから「おとな」という判定をもらえるわけでもない、個々人の主観で判断される存在感。そんな感じですよね。
いっそ、「おとな」なんて考え方も区別もないものとした方が良いと思いますし、ぼく自身はそういう考え方で人と接しています。
「おとな」、「こども」ではなく「ひと」
相手が何歳であっても、「おとな」扱いも「こども」扱いもしないんです。
どんな相手にも「ひと」として接する。それだけ。この人、「おとな」だなぁ〜って思うことがないんですよね。「ひと」としてすごいなぁとか、尊敬できるなっていうのは沢山あります。
それでも「おとな」を定義してみる!
これじゃあ、テーマに沿ってない気もするので「おとな」を考えてすでに数日が経過しています…
最初に書いたところに戻ります。日本では二十歳になって成人すると、世の中的な見方としては「おとな」っていうことになります。
「おとな」のスタートは年齢で区切られています。僕、この部分が気にくわないんですね(笑)やっとわかりました。
年齢にとらわれないひとが「おとな」
さっき、「おとな」なんていない!って言いましたが、あえて定義するならこうなりました!
ぼくが思う「おとな」は年齢にとらわれず、自己を持っている人。
これは10歳でも、83歳でも、32歳でも同様だと考えます。年齢がいくつだから、どうこうではなく、相手を尊重し、その上で自分はこうです!って言える人、行動できる人は「おとな」だとぼくは思います。
そんな10歳とかいるのか?といえば、いるんじゃないですか?思った以上に多くいるとぼくは思っています。ぼくの長男(5歳)を見ていても、これは感じますからね。ぼくなんかより、よっぽど「おとな」だなって。
ぼくが5歳児に負けた「おとな」エピソード
親バカな話と言わずに読んでいってください(笑)
こんなことがありました、皆さんも経験があると思います。
公園でぼくと長男が遊んでいました。そこへ近所の子供が遊びに来ました。そのうちの一人がぼくの息子に言いました。
近所のこども「キミ、何歳?」
息子「ん?5さい」
近所のこども「ぼく、6さい!キミ、まだ5さいなんだね〜ぼく、6さいだから色々できるんだよ〜」
ぼく「(うっとうしい子供だなぁ〜、昔からいるよなこういうヤツ!)」←大人げない
息子「そうなんだよね〜でも、これでも出来ること増えたよ♪」
近所のこども「ぼく、6さいなんだよ!!」
息子「そっか!じゃあね!お父さん、遊ぼ♪」
ぼく&近所のこども「(……)」
こんな感じ、皆さんが子供の頃にもいませんでしたか?年齢が自慢の人。年上ということをで優位性を示そうとする人。大人になっても似たような人っていますけどね。
息子はその近所の子の言葉に受け答えをし、その後、「つまらん奴だな」という判定の末にぼくと遊ぶことを選択します。近所の子供は年下にデカい顔したい一心です。
32歳のぼくはそんな近所の子供に苛立っています。誰が「おとな」でしょう?
冒頭で「『おとな』扱いも『こども』扱いもしないんです。どんな相手にも『ひと』として接する。それだけ。」とか言ってたくせに、何もできていないことが判明しました…自分、クソすぎる。
そんな、僕がオススメする1冊!
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・Youtuberを夢見る子供達を否定する人ほど、世の中や人の生き方をなめてる。