共に生きていく仲間が増えるのは本当に嬉しいし、楽しみでしかない。
先日、3人目の子供がひとまずは無事に生まれてきてくれました。これまでも同じだったのですが、「ひとまず」という気持ちを僕は常に持っている。
生まれてきてくれるまで、究極的には妻か?子供か?命の選択を迫られた場合を想定する。その答えはいつでも同じなんだけど、念のために自分に問いかける。
その前に自分自身が健康に生きているのが前提条件となるんだけど。なんて言いながらも、ひとまずは無事に生まれてきてくれました。本当に良かった…
正直、僕は子供が好きではない
僕は昔から「子供」というのが好きか?と言われれば『好きでも嫌いでもない。う〜ん…好きではないよな。』って回答になる。
それは3人の子供の父親になった今でも変わらない。少しだけコミュニケーションを取るのが上手くなったくらいのものなんだよね。
たまにこの気持ちに「どうして?」という質問を投げかけられるのだけど、理由はない。逆に「大人」は好きですか?と聞かれてなんと答えるだろう?って事と同じだと思うんだ。
好きな人は好きだし、好きでもない人は好きでもない。嫌いな人ってのは特に思いつかない。苦手な人はそこそこいるけれど(笑)そんな事じゃないかな。
生きていく上での最小の共同体
子供と親というのは関係性での話でしかないと僕は考えていて、記号のようなものでしかないと思っている。
では何なのか?
もっとも僕の感覚に近いのは共に生きて暮らす仲間。それぞれが出来る事、出来ない事があって、補い合ったり力を合わせて生きていく最小の共同体。それが僕にとっての家族。
息子たちに助けられまくる父親
この共同体という感覚を今回は特に強く感じた。
長男は2度目になる母親の不在。実際には3度目か。次男が生まれて間もなく半月ほどの入院を余儀なくされたんですよね。
次男にとっては初めての経験。「どうなるかなぁ…」なんて心配をよそに活躍しまくる息子たち。
一つの例で言えば洗濯物。洗濯をする、干すまでは僕がする。乾いたものをどこにしまうのか…自分や妻のものはわかるけれど、子供たちのものは半信半疑。
彼らに聞いてみると答えるよりも先に自分でしまってくれた。結果として僕は覚えないままなんだけど。
あとは兄弟のつながりの強さ。僕では敵わない何かがあるんだよね。弟には兄がいて本当に良かったなぁと二人を見ていて感じる。
まとまらないけれど…
こうやって彼らには彼らしか出来ることがないものがあるし、僕には僕にしか出来ない事がある。
あるんだけど、それって何だろう…と改めて考えてしまう。先日の「生きる、働く、「自分のペース」を考えてみる。」という記事にも繋がってくること。
それぞれが自分のやりたい事、出来ることをしながら共に生きていく。支え合っていくとも少し違う。一緒に生きていく。
いつかは離れていくのかどうなのか…それもよくはわからない。それでも、それまで僕の家族の仲間になってくれて本当に嬉しく思う。
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